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台湾全土にその名を轟かせている基隆市廟口の「小吃」(B級グルメ)はすでに3、40年の歴史を有します。基隆市仁二路そばの奠済宮近くで、愛二路から愛三路にかけての仁三路には「小吃」の密集地として知られ、わずか300-400メートルの間に200近くの屋台が所狭しと並んでいます。この通りをぶらぶらしている間、口は片時も止まっていないです。超大食いと自負できない限り、基隆廟口の「小吃」を食べ尽くすことは難しいでしょう。このナイトマーケットに屋台を出している人々はオリジナルの味を追究し、自慢の腕を振るっています。ボリュームがあり値段も手頃で、見た目・口当たりもよく、毎晩のように多くの人が押しかけてくます。「鼎辺坐」(別名走坐)、天ぷら、「肉羹」、カキ入り卵焼き、「魯肉飯」などはご当地ならではの「小吃」です。シーフード、焼き鳥、フレッシュフルーツ、かき氷など、どれをとってもほっぺたが落ちるほどおいしいです。通りに沿って食べ歩いているだけで、台湾全土を回ったような気分にさせられる基隆廟口は、絶対にハマってしまう場所です。台湾の人だけでなく、外国人観光客もこれらごちそうにありつこうとわざわざやってくます。台湾ならではの「小吃」を食べたければ、基隆廟口は絶対に見逃せないポイントです。基隆廟口のナイトマーケットは午前2、3時まで営業している屋台も少なくないです。このほか、近くには日用品や格安な衣類などを売る露店もあります。ごちそうをたらふく食べられる以外に、ショッピングも楽しめるところです。

基隆の中正公園は基隆港東側の山丘にあり、山上に建てられた施設と植えられた植物など、基隆市民の日常のほのぼのとしたレジャースポットであります。中正公園の正門は信二路にあり、その門をくぐって山上に達します。公園内ビルは三階あります。一階は運動施設広間があり、休日は多くの人が訪れます。二階は宗教行事の空間、毎年中元節などの式典が開かれます。多くの人出で賑わいます。公園の最高点には、白色の大観音像が祀られています。高さ22.5メートルで、内部は五階です。この上にのぼれば、基隆全景が俯瞰できるという基隆のシンボルです。観音像の両側には、巨大な金色のライオンが守り、周辺には18の羅漢像の彫刻があります。そのひとつひとつの表情は異なり、動作も変わり、人の目を楽しませてくれます。中正公園前の広場からは基隆市街が一望することができます。とくに黄昏(たそがれ)と夜景がすばらしいです。中正公園からさらに800メートル先、右側の梅園にはかつて白米甕砲台から移されてきた1887年英国製の8インチ砲も並べられています。

基隆港(きーるんこう)は台湾第2位、世界第39位(2004年現在)の取扱量を誇る港湾である。台湾北部の天然の良港を基礎に発展し、現在海運の中継港として、台湾国内の内航航路と組み合わせた物流ネットワークを形成している。取扱いはコンテナが主であり、混載貨物を補助的に取扱い、国際大型コンテナ船が定期航路を有している。近年観光産業と複合させた発展を計画しており、2001年6月28日、専門機構として「基隆港管理委員会」が正式に設置され、基隆市長(当時の市長は李進勇)が主任委員を兼任した。

基隆嶼は基隆東北外海にあり、北部台湾のもっとも鮮明な島嶼の地標で、各国の船舶が基隆港に入港する場合の目標になっています。その優美な滑らかに隆起したラインの光景は基隆八景の一二数えられています。基隆嶼は美しい火山島のひとつであり、四囲は切り立った崖になっていて、平地はないです。島の山にはいくつの亭と遊歩道があり、訪ねた人たちは木の桟道を歩むことができます。各種の台湾の原生植物があり、春には野百合の花が美しいです。島内は気候の変化によっても、さまざまな美しい風景に満ちます。天気晴朗の時、朝夕の風景は神々しいです。夏期には碧砂漁港から観光船で、海からの基隆嶼を眺めることもできます。

『和平島』は基隆市の中正區の東北にあります。本来の名称は『社寮島』といい、北台灣で最も早期に西洋人が足を踏み入れた土地とされており、また基隆で最も早期に漢人が居住し開墾を始めた土地のひとつでもあります。島は和平橋で本島の基隆市とつながれています。和平島全島はもともとは『和平島本島』、『桶盤嶼』、『中山仔島』の三大部分からなっていましたが、百年近くの時間を経て、自然の土砂の累積と人工建設により、現在では三島嶼はすべてが陸続きとなり一体となっています。和平島の海岸は海蝕景観で有名で、海蝕崖、海蝕平台、海蝕溝や、最も有名な『豆腐岩』、『萬人堆』(蕈狀石)地形景観などがあります。

八斗子は和平島の東南側にある島です。発電所の建設によって半島状に形成され、有名な望幽谷と八斗子海浜公園地区となりました。八斗子漁港は民国64年(1975)に建設された台湾北部の最大の漁港で、飛び魚や丁香魚などの加工場もあります。望幽谷は八斗子と長潭里間のV型の谷、谷地は多くの緑の草にあふれ起伏が等しいです。近々八斗子漁港を望み、遠く基隆嶼を眺めると、しばし「忘憂の感」にひたます。岸に従って行くと、20メートルほどの海岸があり、海蝕された平面の岩は景観であり、貝を拾ったり、カニを捕るなどのおもしろさがあります。環山路を行って、小高い丘に登れば青い海と空がひろがます。夜ともなれば、漁火と高速道路の街灯、遠くは九分の町灯まで見えて素晴らしい夜景が眺められます。

野柳は大屯山系の分脈が海中に約1700メートル伸びてできた岬で、金山から眺めると巨大なカメのように見えるため「野柳亀」とも呼ばれています。海岸の地層には石灰質の砂岩が含まれ、海食風化と地殻変動により、海食崖や変成岩、岩穴など延々と続く独特の景観を生み出しました。観光スポットは第1エリアの「女王頭」、「仙女鞋」、「燭台石」、第2エリアの「豆腐石」、「龍頭石」、第3エリアの海食崖、「海狗石」などと大きく三つのエリアに分けられ、地質教育の課外授業にも利用されています。このほか、ここにはおぼれかけていた人を救助しようとして犠牲になった林添木貞氏を弔う記念碑が建てられ、碑文には当時の様子が写実に記されています。野柳には全国初の海洋生態博物館、シーワールドも設置されています。国内最大規模の海底トンネルがあるほか、めずらしい魚や海洋生物が200種類近く展示されています。海洋生物の標本展示場には希少価値の高い海洋哺乳類や魚類の標本も多いため、教育機能も備わっています。シーワールドではクジラやイルカ、オットセイなどの高飛びや水上バレエといったショーも楽しめ、週末になるとたくさんの観光客がこぞってやってきます。野柳に足を運んだ際には、ぜひシーワールドに立ち寄り、神秘あふれる海の世界を探索してほしいです。

その昔、九份に暮らす人々はわずか9世帯で、道が通っていなかった頃、すべての物資は水路を使って運ばれていました。当時、なにかにつけ「9世帯分」(9人分と同じ音)の物資を調達していたため、その名がついたといわれます。台湾東北部の丘陵地で山を背にし海に面した土地柄の九分はかつて金鉱として栄えました。1890年に金脈が掘り当てられ、そもそも9世帯しかなかった貧困な村が、瞬く間に三、四千世帯の巨大都市へと変貌しました。「アジアの金の都」といわれ、「小上海」、「小香港」の異名さえ取っていた時期もありましたが、ゴールドラッシュ熱が冷めるにつれ、廃れていきました。が、そのうち、ここでいくつもの映画が撮影されるようになり、ベネチア国際映画祭では、侯孝賢監督の『悲情都市』がグランプリを受賞するなど、国際舞台ですばらしい成績を修め、忘れかけられていた小さな村が再度注目を浴びるようになりました。古びた町並み、建物、廃坑と燦燦と輝いていたゴールドラッシュの時代が再現され、昔のような活気を取り戻しつつあります。山道散策に疲れ足を休めたければ、九份ならではの茶屋に立ち寄り、おいしいお茶を飲みながら、基隆沖の美しい海を眺めるのも一興です。村の目抜き通りに当たる基山街は絶えず観光客でにぎわっています。この通り沿いには、九份名物の「芋円、蕃薯円」(タロ芋やさつまいもで作った団子)や現地ならではのB級グルメが味わえるほか、今も残されている文物も目にすることができ、歩いているだけでわくわくした気分にさせられます。また、ここでは宿泊施設も完備されているため、時間が許すなら、自分好みの旅館を探し、美しい夜空や漁り火見物をゆっくり楽しんでいくのもおつなものです。

平渓は、北部でも重要な炭鉱の町でしたが、今では山間を往復するローカル線だけが昔の面影を留めています。この辺りには大小の滝が点在し、その多さは台湾随一です。また、旧暦の小正月(元宵)には「天燈」という灯籠を空に向けて放つ風習があり、民族情緒にあふれた光景が繰り広げられます。

慶安宮は媽祖廟とも言われ、乾隆四十五年に牛稠港に建設されました。基隆市忠二路の左側に位置し、基隆ではもっとも古いお寺の一つです。早期の基隆は中国大陸沿岸の商船が往来する出入りの港口でした。多くの住民がは漁業に従事してした為、お寺は「天上聖母」を祀り、平和と安全を祈っていました。後、基隆は海を埋め戻して土地を造り、現在の位置に引っ越されました。100年間の古いお寺は古色古香(こしょくここう)、お寺の中の龍の柱の彫刻は細かくきれいに仕上がっています。作法が渾厚(こんこう)なお寺の前の石獅、ブロックで築き上げられたお寺の壁、イタリアの石で築き
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