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面積827ヘクタール、周囲33キロ、南投県魚池郷に位置する日月潭は濁水渓の上流、合歓山の中に発する水源を利用したダムを備えた湖で、台湾でもっとも有名な風景区にもなっています。名前の由来は湖上に浮かぶ光華島を境に北は太陽の形、南は三日月の形をしていることから、日月潭と呼ばれるようになりました。日月潭はもともと小さな湖でしたが、日本の統治時代(1895-1945)に発電所を建設するため、濁水渓から15キロの地下用水路で水を引いた結果、湖面が大きくなりました。また、もともと小山であったところが水に埋もれて数々の島ができました。台湾の水力発電用ダムは渓流を塞き止めて造ったものが多いため、一般に景色は単調ですが、日月潭の場合は周囲を山に囲まれた窪地に水を引き込んだため、依然として美しい景観を観賞し、水質がよいのに加え、毎日台湾電力が発電用貯水として循環させるため、藻などの植物が繁殖しにくく、台湾ではめずらしい曲腰魚、奇力魚、潭エビなどが生息しています。日月潭はしばしば「水沙連」という名前で呼ばれます。「沙連」とは以前平埔族が埔里、魚池、中明、水社、頭社など内陸山間部に住む原住民を称した言葉ですが、日月潭も内陸部にあることから、これに「水」の字をつけて「水沙連」と呼ばれたのです。「双潭秋月」、つまり日月潭で見る秋の月は古く清朝時代や日本統治時代の台湾八景、現在の台湾十二景に数えられるほど有名です。日月潭は海抜748メートルに山水画のような景色を創り出しています。湖面を漂う遊覧船からそれを眺めた時、日月潭の本当の美しさが実感できます。噴水柱濁水渓の水が碧湖を経て武界ダムから日月潭に入る地点、光華島のわきに2時間おきに放水する高さ40メートルの柱状の噴水があります。環潭公路日月潭の周囲は約33キロです。かつては日潭公路があるのみでしたが、1995年9月に月潭公路が完成し、湖を一周する環潭公路となりました。環潭公路には中信大飯店付近(日潭側)と日月潭の最南端地点(月潭側)の2カ所に料金所が設置されています。日潭側料金所を起点に時計回りに行くと、文武廟、孔雀園、徳化社、玄奘寺、慈恩塔、玄光寺などの主要観光スポットを見て回ることができます。日月潭浮田水力発電の関係で水位の落差が激しい日月潭では、曲腰魚や奇力魚などの卵が流失してしまうおそれがあるため、浮田と呼ばれる草花を植えた人工の台を湖上に浮かべて、そこに魚が卵を産み付けるようにしています。日月潭有名な水産物【奇力魚】奇力魚の名前は古く清朝時代の文献の中にも見られます。もともとは地元原住民邵族に「奇拉」と呼ばれていましたが、後に中国語の発音を当てて奇魚と名付けられました。学者の話によると、この魚は各地の低海抜河川や湖に生息するのですが、邵族が古くから主要な食料にしていたことから、日月潭のものが有名になったとのことです。奇力魚の収穫期は春と夏で、秋から冬の間は水域の深い場所に潜って出てこないため、捕まえるのは容易ではありません。奇力魚は普通、油で揚げて食べますが、邵族の伝統的な調理方法では塩漬けにします。【曲腰魚】曲腰魚は日月潭に豊富な魚で、腹部が少し曲がっているため、曲腰魚と呼ばれています。また、かつて蒋介石総統が巡視に訪れた時に食べて、たいへん気に入ったことから、「総統魚」とも呼ばれます。曲腰魚は日月潭の特産というわけではありませんが、ここのものは大きさが30センチ以上で、肉も引き締まっており、蒸しても揚げてもおいしいことで有名です。また、大きいものほど小骨が少なくおいしいといわれます。値段は養殖物、調理費込みで、1匹約800元です。日月潭の湖上には四角網を備えた船屋がありますが、これらは主に曲腰魚をとるためのものです。日月潭にはこのほか、武昌魚と呼ばれる魚もいます。中国東北松花江が原産ですが、養殖用に持ち込まれたものです。量はあまり多くありません。

日月村は邵族語でBarawbawと、清朝の文献では卜吉、剥骨社と、漢人に北窟と呼ばれています。日本殖民地時代には一時「化蕃社」と呼ばれました。台湾が帰還されてからは「徳化社」と呼ばれ、魚池郷日月村に所属です。Barawbawは日月潭で邵族最後の居住地で、観光客の足跡が絶えないです。たくさんの漢民族がここに移り住み、商売をはじめました。その為、ここは日月潭で最も人口が集中しています。村の中には、土産物店、レストラン、ホテルなどが並んでいます。特に邵族料理は一度食べると忘れられない美味しい料理です。中でも邵族の人が経営している「邵族文化村」では、観光客に邵族の伝統文化、民謡、踊りなど見せます。

九族文化村は台湾に生活する原住民に関するテーマパークです。村内には全長1,865メートルの歩道が敷かれ、これに沿ってヤミ、アミ、タイヤル、シャイアット、ツオウ、プノン、ペナン、ルカイ、パイワン、九部族の原住民の建築物や文物が展示してあり、それぞれの部落の様子が見学できるようになっています。このほかに、原住民の歌と踊りのショーが行われる娜魯湾劇場や各部族の伝統技芸の実演などが見られる石音劇場もあります。原住民に関する施設以外にも、さまざまな乗り物を備えた室内遊園地の未来世界とローマ式彫刻や噴水を設置した、ヨーロッパの雰囲気あふれる欧州宮廷花園も備わっています。

蛇窯は1926年に建てられました。大陸の福州からは官窯である龍窯と民窯である蛇窯二種が渡来しました。窯は傾斜地に土レンガを細長く並べて作られているため、遠くから見ると蛇の形に見えるのでこの名があり、現存する台湾最古の蛇窯で、伝統的な郷土文化を今に伝えています。陶土と柴から生まれる独特の芸術品の味わいは現代風の窯からは決して生まれないものです。工場内はきちんと整理されて、伝統文化の紹介や文物の展示が行われ、窯場の見学もできます。名品を見ながら一息入れるのもよし、楽焼きに挑戦するのも一興でしょう。陶芸文化があらゆる形で紹介されていますから愛好家には必見です。

南投県の北部、台湾の地理的中心地に位置する水、酒、花、美人が有名なところです。また、周囲は緑の山に囲まれ、盆地地形をしているため、「山城」とも呼ばれています。面積は16,222.7ヘクタール、380メートルから700メートルの間に位置し、気候が1年を通して温暖な亜熱帯に属します。埔里の東北部には標高1,924メートルの関刀山や台湾地理中心碑が立つ虎頭山麓があります。台湾地理中心碑は故蒋経国総統の言葉「山水清秀」の4文字をとって、「山水清秀碑」ともよびれています。一方、西部の烏牛欄谷には眉渓と南港渓が流れ、水尾付近で合流しています。台湾西部の開発が一段落したころ、小さな山村の埔里はまだ日月潭や周辺の山とともに「水沙連」の名前で呼ばれる未開の土地でした。それだけに、急速な発展を免れ、昔ながらの人文資源を今でも多く残しています。

向山旅客センターは台21線水社トンネル附近に位置します。ここに日月潭国家風景区管理所行政センターがございます。当ホテルから約3kの所にございます。珍しい形をした建物は日本の建築士-團 紀彦による設計となります。空から見渡す建物はまるで両手を広げ日月潭を抱いてるかのような光景になります。長さ34m、高さ8mと大型の頂版工法で造り上げた建物がございます。日月潭の湖と山景色を繋いだこの空間は人間と自然が会話してるかのような舞台を演出しております。現在では日月潭の新しいレジャースポットとなっております。住所:南投県魚池鄉水社村中山路599号座標:120°546、23°516

1999年、台湾中部を震源地とした921大震災が起こりました。その後阪神大震災を経験した日本と台湾の交流によって、「紙教堂」が、台湾中部の埔里に設置されました。素材が紙で58本の筒状の紙の柱がテント式の屋根を支えているペーパードームは、かつて日本の阪神大震災で焼失したカトリックたかとり教会の敷地に建てられていました。当初は震災で被災した住民の集会所やイベント会場として使われていましたが、2005年に解体され、その後の移設先を探していたところ、台湾の廖嘉展さんがこのペーパーハウスを台湾に移設したいと名乗りを上げたのです。廖さんは、民間団体『新故郷文教基金会』に属し、ちょうど神戸に招かれた時のことでした。日本側が解体と運送経費を負担し、設置と運営管理費は台湾側が負担しました。「紙教堂」は、南投県桃米村の町興しの中心となり、両被災地の資料等も展示されています。もし行かれるなら、ライトアップした後の情景もきれいです。
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