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台南奇美博物館は西洋絵画・彫刻、楽器、古兵器、自然史、古文物の5つのエリアによって構成されています。収蔵品の種類は大変多く、有名音楽家に貸し出すこともあるストディヴァリウス等のヴァイオリン、数百年前の日本刀や、ルネッサンス派やバビルソン派の名作のほか、アジア全域に渡る鳥類の標本など、数万点もの広範囲にわたる文化的美術品や教育的コレクションが収蔵されています。当博物館を訪れるだけで、世界各地の文化の真髄に接することができます。当博物館は予約制を採用しておりますので、個人、団体を問わず電話で予約をしてください。参観費は無料です。

赤崁楼は1652年にオランダ人に創設されたもので、もとはプロビンティア城(オランダ語で永遠の意味)と言われていましたが、のちに中国人に「赤崁城」、「番仔楼」、「赤毛楼」などと呼ばれるようになりました。明代、清代、日本統治時代と長い歳月を経ているものの、昔ながらの風貌がほぼ保たれています。オランダ人により占拠されていた時代から行政要所とされ、1661年に鄭成功がオランダ人を駆逐した後、プロビンティア城を首府に制定しました。 清代初期、台江が土砂で閉塞される前、赤崁楼のすぐそばまで波涛が達し、「赤崁の黄昏」は当時有名な台湾八景の一つでした。赤崁楼の前には外地から運ばれ、清代に造られたという9基の石亀駄碑があります。伝説によれば石亀は龍が生んだ9人の子の一人で、重責を負わされていたため、亀の形にされたといいます。また、「断足の石馬」像は石馬が妖怪に化けて悪さをしに夜な街へ出てくるため、足を切られ現在の姿になったという話が伝わっています。 時が経ち、赤崁楼は人による破壊とずさんな管理により次第に倒壊していきました。オランダ風の建物に中国風建築が加えられ、観音菩薩などの神明が奉られていた時期もありました。日本統治時代には陸軍の衛戍病院として利用され、改築や修繕の手が加えられました。台湾が主権を取り戻してからは木製だった建物が鉄筋コンクリート構造に変えられ、主な入り口の方向も変更されて、現在の様子を呈しています。

台湾の開発において鄭成功の果たした役割には大きいものがあります。この祠は、台湾の民衆がこの民族の英雄を記念するために特に建てたものです。1662年に創建されたこの建物は、台湾でわずかに残る福州式の建築様式を今に伝えています。境内にある「台南民族文物館」には貴重な古代芸術品が収蔵されています。

台湾で初めての城となる「熱蘭遮城」が1642年、オランダ人の手によって建設されました。それがいまある安平古堡です。ここはかつてオランダ人による統治の中枢とされ、対外貿易の中心地でもありました。もともと安平古堡は正方形をした内城と長方形の外城から構築されていました。しかし、1661年、鄭成功がオランダ人の手中から台湾を奪回し、故郷を記念してこの地を安平と改名しました。「王城」または「台湾城」と呼ばれていたことから、俗称、安平古堡ともいわれます。 清代の康熙年間には、台湾は正式に清朝の勢力下に収められ、政治の中心も府城に移されました。そのため、中枢としての機能は次第に失われ、赤レンガの城壁も億載金城を建設するための資材として取り壊されました。日本統治時代には、内城のオランダ風建物のすべてと周りが赤レンガのかけらで造られたという正方形の舞台、西洋風の部屋が税関の宿舎として使われました。 今の記念館の風貌を呈するようになったのは、台湾が主権を奪回し、安平古堡と改称されてからのことです。ここは今では第一級古跡に指定され、観光スポットにもなっています。いまでも記念館の脇には、カジュマルの枝がからまり、赤レンガが色あせてまだらになった70メートル余り続く南側の外城の壁跡が残っています。300年もの長い歳月を生き抜いてきた遺跡は、世の中の移り変りが激しかったことを語っています。

億載金城はかつて「安平大砲台」、「二鯤身砲臺」と呼ばれていました。牡丹社事件で台湾進攻した日本軍と一戦を交わした古の場所です。1874年、沈葆(木貞)氏が安平入りし、大砲台を設置して防衛すべきと提案しました。1876年にフランスのエンジニアが設計した台湾初の洋式砲台が完成しました。イギリスのアームストロング砲が初めて配備されたのをきっかけに、台湾海軍の軍事防衛力は急速に近代化されていきます。 億載金城の建築様式は西洋風の四角形の砲台で、4つの角は突出し中央は凹んでおり、砲台を囲みつつ外堀を攻撃から守るという構成です。砲台には大小の大砲が置かれ、城の中央は訓練場となっていました。体制が整備され規模も大きい砲台は威力を増強していき、億載金城は数ある砲台のなかでまぎれもなく画期的かつ重要な里程碑となりました。時代が過ぎるともに砲台の毀損は極まり、一度は廃れてしまったが、のちに府城(台南)名勝の一つに指定され、今では大切に保存されています。台湾による主権回復後、大幅に改修され、当時の規模の雄大さは見て取れるとはいうものの、建築様式や材質面では昔の面影は残されていません。 今では第1級古跡に指定される億載金城は外壁の高さ2メートルです。城垣の周りには川が流れ緑豊かで赤レンガ製の円形の城門の高さは5メートルに達します。円形の城門をくぐると一面に緑が広がり、沈葆(木貞)氏の銅像と再製された古めかしい大砲がひっそりと置かれています。

太鼓、レジャー、自然が一体となった、初めての芸術村。
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