台北市立美術館のそばに、御伽噺に出てきそうな可愛い洋館があります。美術館を訪れた人はもちろん、中山北路を円山方向に行き来する人たちも、ふと目をやってしまいます。面白いことに、台北市民にすっかり馴染んだ建物なのに、そのほんとうの名前を知る人は少ないです。ただ「美術館のそばの小屋」と呼ばれたり、あるいは「洋食屋」あるいは「ケーキ屋」と思われたりしています。この謎の建物が2003年、「台北故事館」として新しいスタートを切りました。台北の物語を綴る建物としてです。 信じられないかもしれませんが、台北故事館はすでに九十年の歴史があります。日本時代の1913年に建造された故事館ですが、他の同時期の日本の建築物とは相当にその趣を異にします。故事館は台湾では唯一のチューダー式洋館で、一階の外壁は赤レンガで覆われ、二階は木造になっています。壁の地はクリーム色で、曲線が面白い自然材が装飾に使われています。遠くから見るとまるでメルヘンの森の小屋です。 茶商の別荘だった この小さな洋館が誕生したのは1913から1914年にかけます。当時台北市内の茶商の同業組合「台北茶商公会」の初代会長である陳朝駿が円山の基隆河畔に一棟の英国風の洋館を建て(「円山別荘」)、取引先や政界との交際に利用しました。これが故事館の発祥です。 陳朝駿はこのチューダー式建築のために、オランダの東印度会社から設計図を取り寄せ、日本人に建設を委ねました。二階建てで、さらにペントハウス(屋根裏部屋)がついています。現在敷地は約80坪と小さいですが、当時は現在の市立美術館背後の花園や馬場が付設されていた広大なものでした。正門が大通りですが、後ろは基隆河に面しているため、陳朝駿はそこに小さな船着場を設けました。ここから客を乗せて現在の迪化街にあった店の様子を見せたらしいです。二階のベランダからは、現在の圓山飯店あたりの台湾神社が目の前で、はるか彼方には基隆河を美景が望め、「台湾百景」の一つを称されました。 陳朝駿が亡くなったあと、この洋館は刑場になったり、国会議長の住宅になったり、商品の展示場になったり数奇な運命をたどり、1979年に台北市が手に入れ、市立美術館の管理に委ねました。一時「美術家交流センター」に使われていましたが、1998年になって、「円山別荘」として市の史跡に指定されました。その後、市の文化局の手でNT$2500万元をかけて修復工事が施され、台北の文化・芸術・音楽・芝居をテーマにした「台北故事館」として新しいスタートを切ったのです。 台湾では稀少な建築 一階がレンガ造り、二階が木造です。自然な木材の曲線を水平に利用したデザインはひときわ優美で、英国「チューダー式」の建築の特色をよく表しています。屋根は銅葺きで、一面の緑青が歳月を物語っています。正面ペントハウスの窓は緑・黄・赤三色のステンドグラスでです、夜間はとくに美しいです。玄関の半円形の小さな階段は、ギリシャスタイルに19世紀の新古典主義の風格が融合しています。入ったところのロビーは現在は展示室になっていて、二階にもロビーにも暖炉があります。その外観の装飾は極めて個性的です。こうした自然の花や草を図案にしたのは二十世紀初頭の流行で、故事館のあちこちにその応用がみられます。古今台湾では例の少ない建築スタイルです。 外観は洋館でも、一階のインテリアは中国風で、二階はもともと日本式のタタミでしたが、いまは小型の展示室と視聴室になっています。資料や書籍が陳列され、定時にビデオが放映されています。二階のベランダからは円山付近の山々が目の前です。 故事茶坊 台北故事館そばの「故事茶坊」は、リッツタイペイのフレンチレストランが経営しています。ビジネスランチや季節のコースのほか、英国風のアフタヌーンティがお奨めます。大きくとられた窓からは台北故事館と融合した付近の景色が望めます。屋外やベランダにもテーブルがあるので、黄昏時には美術館・基隆河・圓山飯店などを愛でながらのミルクティが楽しめます。ロビー一階の出口には「生活小芸坊」があり、台湾創作家の作品のほか、陶器、花布、復刻された絵葉書などいろいろ昔懐かしいお土産も売っています。