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角板山公園はまたの名を「復興公園」といい、角板山の西南にあります。敷地面積は極めて広大で、秋が深まると園内の十数本の高く大きなタイワンバフウ(モミジバフウ)が見事に紅葉して、訪れる人々の足を止めています。またほかに松の巨樹がいくつもそびえ、梅の樹も多く見られます。開花シーズンには、園内は鮮やかなピンク色の花が満開になり、訪れる行楽客を魅了します。また園内には蒋介石夫妻が植樹した二本のガジュマル(榕樹)の樹が手を携えるようにそびえています。2003年、角板山に芸術的ムードを添えるため、呉炫三ら世界の芸術の巨匠12名が桃園県政府に招待され、園内にて創作パブリックアートが制作されました。こうして台湾最初の世界的レベルの彫刻公園とパブリックアート教育パークが誕生しました。園内の彫刻作品は創意工夫にあふれ、また地元の景観にもなじみ、また角板山はそれによって観光地としての注目度をより増すようになりました。

慈湖陵寝慈湖はその昔「埤尾」と呼ばれていました。また百吉遂道(トンネル)の出口のすぐそばにあったため「洞口」とも呼ばれていました。蒋介石総統は、この土地の風景が故郷の「奉化」の風景に似ていることからこよなく愛し、1959年にこの土地に「慈湖行館」を建てました。1962年には母親の王太夫人を偲び「慈湖」と改名されました。1975年蒋介石総統の没後、仮埋葬としてひつぎが安置されてからは、「慈湖陵寝」と改められました。この陵墓は山を背に湖面に面し、風水学でいう「坐北朝南」(天子は南面す)を吉とすることから北に位置し南を見るように建てられています。四合院閩浙様式を模倣したレンガ造りの平屋で、左右の圓洞門(中国伝統の丸門)は側院に通じ、後方の山壁には防空避難壕がつくられています。また慈湖では、周末や祝日に衛兵の交換式が行われます。国内外の観光客に大変好まれ、撮影にいそしむ人々が多く見受けられます。慈湖ツーリストセンター 慈湖謁陵(陵墓)の駐車場よこに位置し、外観はレンガ造りの平屋となっています。内部には蒋介石生前の多くの事蹟が写真で紹介され、自身による貴重な書画や真筆の文書、再現された衣服衣物などが展示されています。またセンター内の売店では、蒋介石と蒋緯国にまつわる紀念品等が販売されています。中でも蒋両氏のキュートなフィギュアと蒋介石夫人の好物であった「蜜梅糕」などが人気商品となっています。百吉林蔭遊歩道 慈湖後方の百吉林歩道はかつて軍事管制区でしたが、地元の人たちの尽力により地元観光の促進のため1998年から公開されるようになりました。遊歩道では多くの美しい景色が観賞でき、彩り鮮やかなチョウが飛び交っています。また高台からは大渓の全景を眺められるようになっています。一帯の林相は次生林、原始林、竹林が主となっています。よく見られる鳥種は、コノハズク(フクロウ科)、コジュケイ(キジ科)、ベニサンショウクイ、カンムリワシ、タイワンキンバト、シジュウカラ科およびツグミ科の鳥類などで、特に冬に多く見られます。風景を観賞しながらゆっくり歩けば約1時間で一周でき、家族でのレクリエーションとして最適でしょう。途中は渓洲公園、渓石亭、大艽芎古道へ貫けることもでき、徒歩で大渓を理解するのに最適なルートのひとつとなっています。後慈湖 後慈湖の発見 三日月形の後慈湖の水源は白石山の小川であり、「龍過脈埤」と命名されました。桃園農田水利会の灌漑用池になり、貯水面積4,1076ヘクタール、貯水量177,500立方メートル、灌漑面積117,29ヘクタールに達しています。主な灌漑地域は大渓三層地域となっています。1950年代には、蒋介石総統の車は百吉トンネルまでしか進められなかったこともあり、かごを乗り継いで、慈湖地域を一回りしていました。慈湖の景色が故郷、浙江省奉化県渓口鎮に似ていることから深い感銘をうけた蒋介石は、1955年に板橋区の林本源一族から慈湖周辺の土地19ヘクタールの提供を受け、別邸用地を建設しました。1959年6月13日に「洞口賓館」が完成し、1962年10月に「慈湖賓館」へと改められました。1962年総統府疎開計画に合わせ、蒋介石の指示で慈湖一帯の土地を購入しました。後慈湖地域を戦時指揮所としての防空壕に作り上げ、また官舎も建設し、総統府秘書長、参軍長、及び副秘書長などの事務所を設置しました。1975年4月5日、蒋介石没後、慈湖にて仮埋葬が執り行われひつぎが安置されました。「慈湖陵寝」と改名されてから慈湖御陵管理所が設立され、管理や来賓の招待などの任務を担当しました。また後慈湖にある五つの事務所も御陵管理所の管轄下に置かれるようになりました。後の2007年11月より、桃園県政府によって管理されるようになりました。後慈湖は後に軍事用途がなくなり、桃園県政府の働きかけのもと公開にこぎつけました。2007年11月に桃園県政府にその管理が託され、建物の改修などが行われました。後慈湖は長年にわたって軍事管制下にあったため、今日でもその原生林をはじめとした自然環境がそのまま保たれています。現在では、人々の憩いの庭園として利用されています。慈湖雕塑紀念公園(慈湖彫刻紀念公園) 慈湖雕塑紀念公園(慈湖彫刻紀念公園)は、大渓鎮役場により1997年に設立され、2000年2月29日には初の銅像(高雄市より寄贈)の移転式典が開催されました。高雄市から寄贈された銅像は損傷がひどく、桃園県政府と大渓鎮役場による修復作業を経て2008年4月5日に再公開するにいたりました。当初一体の銅像のために造られた記念公園でしたが、今日ではすでに152体の銅像が設置されています。最初の銅像が現在園内で最大となっています。全身、半身像から、座ったもの、馬に乗っているものまでと、台湾の国民にとって見慣れた銅像は、学校や公的機関から寄贈されたものです。いずれも芸術的価値が高く、歩道に沿うようにして展示されています。また園内には小川や橋などもあり、趣のある庭園となっています。

大渓の和平路もまた有名な老街(昔ながらの街並みを残した通り)で、通りや路地のそこかしこに昔の台湾の面影が残っています。立ち並ぶバロック様式の建物と上部にほどこされたレリーフが美しいです。 この通りはまた木器街としても有名で、伝統技術で作られた中国家具や器具が並んでいます。地元の名物は「豆干(小さく切った豆腐を布でくるみ、香料と煮てから乾燥、あるいは薫製にしたもの)」で、大小の豆干店がズラリと並ぶ様子もまた大渓の名物です。香りと歯ごたえがたまらない大渓の豆干を味わってみるのも一興でしょう。
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