Sightseeing

旅行情報

1938年、台湾新生報の前身である台湾日日新報社は、創立40周年記念に、その公会堂の屋上に設置されていた4インチの屈折赤道儀望遠鏡と観測ドームを台北市役所に寄贈しました。そして、台湾が中国に返還される際に公会堂は台北市に引き継がれ中山堂と改名されました。これが台北市立天文科学教育館の前身です。 その後、米国の人工衛星が打ち上げられる際に、スミスソニアン天文台からの人工衛星の世界的な観測協力の呼びかけに応じて、1958年に中山堂は「中国人工衛星観測委員会」を組織し、観測隊を編成してわが国の代表として参加しました。1957年、人工衛星が軌道上へ打ち上げられるようになってから、人類は本格的に宇宙時代へ突入し、天文の知識が社会の人々から求められるようになりました。しかし、中山堂の周辺は、街明かりのために夜空が明るくなり観測に適さなくなったため、台北市は天文台の移転を承認しました。 円山天文台計画段階を経て、天文台は円山風景区の中に移設されることになりました。新しい天文台は1960年から着工され1963年に完成しました。これが円山天文台です。台北市が行政院の直轄(院轄市)になった後、1969年に天文台は組織と規則の見直しを行政院に要請し承諾されました。天文科学教育は、教育の中の重要な役割を果たしており施設の拡充が必用であることから、プラネタリウム館(天象館)が1978年から着工され、1980年に完成しました。その頃の天文台には研究と教育推進の二つの部門が設置され、設備や人員とも相当な規模になりました。 天文科学教育館 しかし、台北市の人口が急激に増加し、円山天文台の規模では対応が難しくなりました。そこで、もっと広いスペースを使って系統的に天文学の新しい知識を紹介できるような、展示内容の充実した新しい天文科学館を早く整備するように市議会で度々議論されました。そして、1993年に台北市政府教育局の指示により、士林区基河路363号に現在の天文科学教育館が着工されたのです。 1938年から現在にかけて、公会堂から中山堂、円山天文台、そして現在の天文科学教育館に至るまで、わが国に天文教育が広まるにつれ、施設の規模も次第に大きくなりました。天文科学教育館は、国内の天文教育普及の牽引役として、天文学を難しい学問の世界から、親しみやすい生活の中の知識へと変えていったのです。

士林夜市は台北市で最大規模を誇るナイトマーケットの一つで、陽明戯院(映画館)、慈誠宮を中心に、文林路、大東路、大南路などにぎやかな通りから成り立っており、なかでも、士林市場は1910年に建てられた古い歴史を有するマーケットです。各種の台湾小吃(B級グルメ)は内外にその名を馳せており、B級グルメを求めてここを訪ねる観光客は後を絶たないです。「大餅包小餅(春巻のようなもの)」、「石頭火鍋」、士林名物、ジャンボソーセージなどはグルメのランドマークにもなっています。 ナイトマーケットの近くには、学校が多く立ち並んでいるため、主要な客層は学生で、価格も一般のお店に比べ割安になっているのが特徴です。家具店、ブティック、DPEショップ、ペットショップなどが軒を連ねているエリアもあります。『情人巷』(恋人通り)と呼ばれる通りに立ち並ぶ小物ショップやかき氷店に、遠くからわざわざ足を運んでくる人も少なくないです。 士林夜市を歩くのはけっこう骨の折れる作業ですが、路地を探索していくうちに隠れた穴場を見つけることもまれではないです。週末ともなれば、人込みでごった返し、家族総出で手に大小の荷物を持ち、B級グルメを口にしながら、満足げな表情で帰っていく光景があちこちで見られます。

中国文化の精髄にふれたければ故宮に行ってみるといいです。1965年に落成した故宮博物院は北京にある紫禁城を参考にして建てられました。院内には寄り抜かれた歴代文物が収蔵されており、書画、銅器、磁器、玉細工、漆器、彫刻、図案、文献など、古美術品の所蔵品総点数の総計は655,707点です。北京の故宮博物院と南京の中央博物院の収蔵点数の総和を上回り、世界最大規模を誇っています。所蔵数の豊かさは米国、イギリス、フランスの美術館と並んで世界4大博物館に数えられ、中国芸術文化の研究保存の要所となっています。 院内には、中国語、英語、フランス語、ドイツ語、日本語、スペイン語、韓国語など7カ国語で書かれた案内ガイドが準備されています。また、これら文物研究に関する勉強会やセミナー、巡回展示活動なども定期的に開かれ、特集などを組んだ出版物は130種類以上に達します。 故宮の向い側には至善園という中国の古典庭園芸術を再現した公園が設けられています。そこは蘭亭、曲水流觴、籠鵝、松風閣、碧橋西、洗筆池、招鶴聴鴬などと呼ばれる八つの景勝地から造られ、中国ならではの雅な庭園の美がいたるところにあふれています。

陽明山国家公園は台北市街に隣接し、大屯火山群からなっている国定公園で、古くは「草山」と呼ばれていました。北投、士林、淡水、三芝、石門、金山、万里など広範囲にまたがっており、のちに「陽明山」と改められました。火山活動によってできた円錐状と吊り鐘状の火山体、火口湖、イオウガス噴出口、地熱、温泉など、陽明山公園はいろいろな表情を持ち、研究活動やレジャーに最適です。また、季節風の影響を受け、高原、草原、広葉樹林、亜熱帯雨林、雨水植物の群落などの植物群系を形成し、これらの生態環境が台湾水ニラ、大屯ホトトギス、チョウや鳥などを育んできました。陽明山公園は台北の夜景スポットとしても有名で、ここから眺める台北の街はネオンがきらきらと輝き、まるで美しい絵巻物を見ているようです。このほか、園内に設置されている旅客案内センターでは、みどころのインフォメーションや心のこもったサービスを提供しています。   陽明山国家公園の中にある陽明山公園は、紗帽山の後ろ側にあるため、裏山公園ともいわれています。周りは七星山、紗帽山、竹子湖山、中正山、大屯山などに囲まれ、自然と人工を合わせた陽明山の美の結集地です。みどころは花時計、小川、七色の光を放つ噴水、展望台、滝などで、園内には梅の木、桜の木、桃の木、スモモの木、ツツジ、椿などが植えられ、毎年3月の花見シーズンともなれば、色とりどりの花が咲き乱れ、多くの花見客でにぎわいます。

『雙溪公園』は士林雙溪入り口にあります。面積は約2ヘクタールあり、公園は名景観設計師の胡國禮氏により企画されたものです。公園の地形は非常に平坦で、三角形です。園内の庭園設計は中國庭園設計をもとにしています。園内には花畑、人工池、、回廊、亭、榭、曲橋、假山瀑布等があります。また園内には様々な植物も植えられています。 写真提供:http://www.wretch.cc/album/lans作者:lans

『故宮博物館』のすぐ隣にある『原住民文化主題公園』。2000年に成立した博物館で、故宮で中華文化を体験したら、至善園を超えてこの公園で台湾本土の原住民文化を体験してみては。 この公園は台北市政府が設立した台湾全国第一番目の『原住民文化主題公園』で、イベント広場前には大理石で作られた彫刻と、二つのトーテムポールがたっています。『浮雕石柱』は泰雅、賽夏、邵、鄒、布農、魯凱、排灣、卑南、阿美、賽德克、噶瑪蘭、雅美、平埔等 13の原住民民族の特色をあらわしています。園內には多くの石雕、芸術作品が展示されており、全てが原住民芸術家の作品となっています。 写真提供:http://tw.myblog.yahoo.com/ck-wang

士林官邸は"蒋介石"氏の住んでいた所としてよく知られています。日本植民地時代は士林試験分所として利用されていました。国民党政府の台湾移転と共に蒋介石氏と宋美齢夫人が住むようになりました。1996年8月1日に一般公開され、現在では常に開放されています。遠足や散歩、デートスポットとして訪れる人も多く、さまざまな花園に満開のいろいろな花を観賞することができます。周辺には公園や有名な『士林夜市』、『故宮博物館』があります。
  1