Sightseeing

旅行情報

台湾でもっとも歴史の長い博物館 本博物館の歴史は1908年にまで遡り、台湾でもっとも歴史の長い博物館です。日本政府が台湾南北縦断鉄道の全線開通を祝って、1908年10月24日に「台湾総督府博物館」を設置したのが始まります。開館時の所蔵品は一万件余ります。1915年に台北新公園内に現在の建物が落成し、日本時代を代表する公共建築の傑作と称されました。 戦後、「台湾省立博物館」と改称され、1961年と1994年の二回、閉館しての大改修がおこなわれています。1999年には「国立台湾博物館」(National Taiwan Museum)に昇格し、今日に至っています。そうした時代の変遷、支配者の交代、そして戦火をも潜り抜けて、建物の原状を保ちつつ博物館の経営が続けられてきました。台北駅のすぐそばにあって、清代台北城においては東西および南北の中心軸が交差する点に位置していました。その荘厳なたたずまいといい、重要な所蔵品といい、台北の歴史的なランドマークと呼ぶにふさわしいです。1998年、内政部によって「国定史跡」に指定されました。 西洋建築の伝統を受け継ぐ 国立台湾博物館の建築は、いくつかの古典的西洋建築の要素が融合した建物です。上から見た平面図は「一」の字の形をなし、北は館前路を経て台北駅に、南は二二八和平公園に面しています。博物館からの眺めは壮観で、真夏に西日が当たりにくいという効果もあります。入口の玄関フロアは中央に位置し、両サイドに展覧室が左右対称に伸びている簡潔で力強い設計です。 外観 博物館の外形は古代ギリシャ様式を真似たもので、入口正面はギリシャ神殿の建築美を漂わせています。階段をあがるとドーリア式の巨大な柱と華麗な紋様が迎えてくれます。天上はローマ風のドームになっており、厳粛な風情をみせます。 内部 中央ホールはこの博物館の精華ともいえます。ホール周りには三十二本のコリント式の柱が林立し、その頭には精緻な装飾が刻まれています。ホール中央に立って天を仰ぐと、鮮やかな彩色が施されたステンドグラスの天窓がうかがえます。光線が大理石の床に反射して、採光の効果がすばらしいです。ホール両サイドの壁にあいた空間はもともと台湾総督児玉源太郎と民政長官後藤新平の銅像がおかれていたところで、児玉・後藤両家の家紋が階段の手すりのデザインにもなっており、もともと本館が二人の功績を称える記念館として建てられたという由来を物語っています。 注目の観光スポットに 台湾博物館は2008年に100周年を迎えます。館前路にはほかに、かつて台北勧業銀行および三井株式会社だったという土地銀行の建物が昔のままに残っています。こちらも現在再利用の計画が進行中で、将来この一角はちょっとした歴史探訪のゾーンになりそうです。台北勧業銀行は昭和八年(1933)の創建で、台博館とは斜め向かいになります。台北勧業銀行の正面階段上には巨大な柱が並び、その威容は歩行者を圧倒します。外壁は人工だが石材の質感がよく出ています。柱の上の獣頭の装飾が神秘さを添えています。 当時台湾最大の財閥であった三井株式会社は、現在の襄陽路および館前路の交差点、勧業銀行の隣に本社がありました。1920年の創建のルネッサンス様式の三階建てで、角に先の尖った塔があります。1940年に改築されていて、いわゆるArt Decoスタイルのシンプルな風格が特徴です。かつて台北勧業銀行や三井株式会社だった建物は、その内部が展示に適していることから、その地下に台博館の第二スペースを設置する計画がもちあがりました。実現すれば二二八和平公園周辺の観光的な意義は大きくグレードアップしそうです。

『二二八和平紀念公園』は原名を『臺北新公園』といいます。台北市の中正区にある公園で、敷地は71,520平方メートルあり、その周りには總統府、外交部、臺大醫院、臺北賓館等の主要機関が隣立しています。公園內には『國立臺灣博物館』、『二二八和平紀念碑』、『二二八和平紀念館』等があり、他にも露天音樂台、拱橋、造景池や綠地步道、中國式庭台樓閣、台湾で最初に使用された蒸気機関車、急公好義坊、黃氏節孝坊、七門古砲、放送亭、銅牛、銅馬等があります。 住所:台北市懷寧街109號 相片來源http://photo.xuite.net/tmleou攝影者大景

『台湾総督府』は日本統治時代の50年間で建築された建築物の中でも最大の建築物です。高さが60mある中央塔からは、当時高層ビルのない台北の街をほぼ全体見渡せたそうです。また、その塔内には台湾初のエレベーターが設置されました。 総督府を建設するにあたり、1907年、日本政府による設計コンペが催され、審査員には辰野金吾、伊東忠太など建築界の大御所が名を連ね、1909年、長野宇平治の作品が選ばれました。設計が決定するまでのエピソードとして、長野の作品は中央塔が低く、外観の装飾が簡素であったため、主催者がその設計を不満であるとし、設計者に森山松之助を起用。長野の作品に大幅な修正を加え、現在の形になりました。7年の建設期間を経て1919年竣工。建物は東向き(日本の方向)に建っており、上から見ると"日"形をした構造になっています。 昭和20年、台北大空襲で正面左側に爆弾が落とされ、三日三晩焼け続いたといいます。その後、修復を経て現在に至るまで、台湾総統のオフィスとして利用されています。 写真提供:http://album.blog.yam.com/liaoyilung

台湾民主記念館(旧・中正紀念堂) 中正紀念堂は、中華民国の初代総統である蒋介石を偲んで建てられました。中正紀念堂の正面には『大中至正』と書かれた高さ30mの門がそびえており(少し前までは『自由広場』と書かれていました)、左右には『国家音楽庁』と『国家戯劇院』があります。そして広大な敷地の一番奥に『中正紀念堂』があります。 2007年5月19日、泛緑連盟に属する陳水扁政権は、台湾正名運動の一環として、中正紀念堂を台湾民主紀念館へと改名しました。その際には正門の『大中至正』の文字も『自由広場』に変えられました。現在では台湾総統が国民党の馬英九総統となり、中正紀念堂の名称等は元に戻されています。 中正紀念堂は高さが70m。屋根は八角形の形をしており、エナメルを塗装した青い瓦が置かれています。敷地を囲む壁の上部にもこの青い瓦が使用されています。中正記念堂の壁は大理石を積み重ねて作ってあります。 蒋介石総統が1975年4月5日に逝去した際、国内外の国民が蒋介石総統に対して最高の敬意と永遠の思慕を表すために自主献金を募り、台湾政府に対して"中正紀念堂"を建立するように要求したことによって、1977年11月より建設が始まり1980年3月末に完成しました。訪れた際には台北市内にあってその広大な敷地と壮大な建築物に圧倒されます。 中正記念堂2階にある「蒋介石」座像の前には儀仗兵がいて、1時間置きに交代が見られます。この交代も観光旅行に来た方々には珍しい光景であり、交代の際には多くの人達がこの光景を眺めています。また、閉館時間となる17:00には衛兵の交代セレモニーが行われ、『忠烈祠』のセレモニーと合わせ有名で多くの人が見に行く行事です。 照片出處:http://www.wretch.cc/album/chean0214攝影:chean0214

台北公会堂(たいぺいこうかいどう)は台北市中心の延平南路に位置する建築物。日本統治時代の1936年12月26日に台湾総督府営繕課の井手薫の設計で建築された。1945年、国民政府による接収が行われると台北中山堂と改名され、1992年1月には中華民国政府により国家二級古跡に指定されている。
  1